自称「日本一、人見知りする社長」です。資金なし、人脈なし、人望なし、自信なし、ゼロからの独立起業から9年経過。現在は年商10億円にまで成長しました。その過程では、詐欺、横領、裏切り、謀反、男女問題、人間不信、様々な問題が勃発。どんな本にも書かれていない、生々しい真実を赤裸々に書き綴りました。本当の学びは、真実から得られます。起業の裏側、経営の光と闇をのぞき見したい方は続きをどうぞ・・・・
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2007年02月06日

人見知りの私が社長になるまで 第一話

これから不定期にて、人見知りの私が社長になるまでの

人生を振り返り連載していきます。 第一話のスタートです。





私は幼いころに両親が離婚した為、母子家庭で育ちました。

母は飲食店を経営していて、学校から帰ってくると、机の上には1000円札と「これで好きなものを買って食べて下さい。」という置手紙が一枚。

小学生の私は毎日置かれているその1000円をやりくりし、ファミコンのカセットを沢山買いました。学校の中では一番持っていたので、いつも家は友達の溜り場になりました。そこでリーダーシップを取っていたのと、カセット購入のお金のやりくり、それが今に繋がる経営感覚が養われたのかも知れません。


中学1年の時に、小児喘息が悪化し、出席日数の半分近く休み、学力と体力が同級生より、圧倒的に低下し 劣等感を感じるようになる。
同時期に、母の経営する飲食店が、お客が洗面所の水を出しっぱなしにすることにより、水漏れ事故。真下の階が、老舗すし屋で、板の間がすべて腐食したため
設備の弁償と、休業補償のため多額の借金を抱えることになる。

そのため、離婚した父(当時は一部上場企業勤務)に、母と一緒にお金を借りに行くが、バブル崩壊で 株投資で借金を抱えていることを理由に、面会すら 出来ずに断られる。

母は、喫茶店で働きコツコツと借金を返し、高校の 授業料は僕自身がファミレスでアルバイトをして払うコンピューターが好きなので、専門学校進学を考えるが授業料が高いので、2年で学費をためる為、高卒では給与の良い、アパレル工場に就職する。

計画通り、2年で250万円を貯めるが、母が再度、飲食店を出す為、キャッシュカードを無断で使用され 出店資金に使われてしまう。
ある日通帳残高を見ると、「62円」に、まさかと思い 母に「勝手におろしたやろ」と詰め寄ると「子供の金を勝手に使うわけないやろ」と一蹴され、銀行に電話し「コンピューターのミスかなにかで、残高がなくなっている」と言うと、銀行側は「そんなことは、起こりえません。そういった問い合わせはよくあります。大体、身内の犯行です。引き出した時間はわかりますので、防犯ビデオの録画を見にきてください。」と言われ、母に「防犯ビデオの録画を見に行く」と言ったところ「ごめん、実は無断でおろしたんや」と白状される。

「僕の2年間、必死で貯めたお金やから、すぐ返せ」
と言うが「お前を育てるのに、もっとお金はかかっているんや」と一蹴される。

<出会い>
21歳の時、アパレル工場を退社し、自動車教習所に通いながらフリーター生活。
本屋で、ふと「思考は現実化する」ナポレオンヒル著
を手に取り購入する。

読むと、「逆境が大きければ大きいほど、それ以上の利益の種子が眠っている」
「思考は、その思考内容自体を現実化させようとする強い衝動をもつエネルギーである」etcの強いインパクトのある言葉があり、「これからは、激動の時代なんだから、守るものはなにもない、もっと自分自身の可能性を追求する生き方をしよう」と思い、漠然と独立起業を考えるようになる


次回へ続く、次回は<旅立ち>から
posted by やまもと あつひさ at 19:42| Comment(4) | TrackBack(0) | 人見知りの私が社長になるまで 第1話〜第5話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月13日

人見知りの私が社長になるまで 第二話

前回からの続き

コンピューターの専門学校に行くために2年間で250万円貯めた山本。
しかし、ある日突然、残高が62円になってしまう事件が起こる。
失望の中、たまたま本屋で見つけた「思考は現実化する」と言う本に刺激を受け、次第に独立起業への想いを強めてゆくのだが、、、


21歳から、漠然と独立起業を考えていましたが、とりあえず、何をやればいいのかわからなかったので2年ほど、独学でコンピューターの勉強をしながら、フリーター生活をしました。

自動車教習所教官、建設現場、ティッシュ配り、警備員、吉野家、コンサートチケット取り、さまざまなアルバイトを経験しました。

そんな、モヤモヤしたフリーター生活を過ごしていたある日、ふと求人雑誌を見ていたら『コンピューター技術者募集・未経験者も一から教育します』
という派遣会社の求人が目にとまりました。

早速、電話すると、偶然社長が出て
「若い子はいろいろな可能性があるので、経験がなくても、一から教えますよ。とりあえず面接にきてみなさい」
と、電話越しに温かそうな人柄が伝わってきました。すぐに面接して頂き採用。
会社は大阪だったので、和歌山からの通勤で、求人広告どおり、最初は会社内でのパソコン研修でした。

入社して、一週間位で社長から「某橋梁メーカーの大型電算機のオペレーションの仕事があるので、大阪に社宅を用意するから、やってみるか」と言われ、しかし、研修がまだ途中なのにという思いと、大型電算機なんて触ったこともないので「大型電算機なんて、全然わからないので難しいです」と言って一旦は断りました。しかし社長は「入ってしまえばなんとかなる、派遣先の面接の時は、何を言われても*大丈夫です*、と答えるように」と半ば強引にそこに行くことになりました。

派遣先面接の時も、社長の言うとおり、何を言われても「出来ます」「大丈夫です」と答えるだけでしたが、採用となりました。

すぐに和歌山から大阪へ引っ越し、一人暮らしスタート。社長の言うとおり、仕事自体は入ってしまえば何とかなるものでした。最初は複雑に見えた仕事も、一通り覚えてしまえば、仕事自体はすごく楽で、電算室に一人きりでしたので、合間で本を読んだりできました。

それから2年ほど経った頃、あまりにも楽な仕事で「ここに居ても成長がない」という思いが日に日に強くなってくる自分がいました。そこで、昔から漠然と考えていた独立起業に向けて第一歩を踏み出そうと思い、とにかく独立起業するには、営業力が必要になるだろうと思い、営業職に転職することを決意。

そして、退職する報告を、社長にすることにしました。

「いままで、お世話になりありがとうございました。誠に申し訳ないのですが、実は来月末で退職したいのですが、よろしいでしょうか?」と伝えると、社長はいつもどおり柔和な笑顔を浮かべながら、「なんとか、考え直すことは出来ないのか」と言いました。

しかし、僕の決意は固く「今後の人生を見据えての判断です。わがままで申し訳ございませんが、退職させて下さい」と社長の目をまっすぐ見つめ言ったのです。

この時、これほどまでに人の恐ろしさを知らされる事になろうとは全く想像出来ませんでした。

何度か、社長との押し問答が続いた後でした。いつも柔和な笑顔で、温かそうな人柄の社長が、鬼の様な形相にみるみる一変、大阪人独特の喧嘩口調で

「おまえは、何ナメたことを言ってるんや!!和歌山の片田舎から、大阪に来させてやったんは、誰やと思ってるんや!!。おまえ、この業界で生きていかれへんようにしたる。辞めていいから、覚悟しとけ!!もう、顔も見たくないから去れ!!」

信頼していた社長から罵声を浴びせられ、ショックで混乱してしまい、逃げるように、社長室から去ったのです。

後で会社の先輩から聞いた話ですが、辞めていく社員には、必ず罵声を浴びせている社長の様でした。

とにかく残りの一ヵ月で業務の引継ぎを終了させ、退社ました。

早速いろいろな営業会社に面接しに行き、通信代理店会社では、大手のN社に入社しました。

余談ですが、独立起業してから2年後、その社長に「マイラインの販売店しませんか」と提案しにいきました。その時は、柔和な笑顔の温かな人柄の社長で「儲かるんやったらやってみようか!!」と意気投合。販売店として、一緒に仕事をしていた時期がありました。

さて、意気揚々と入社したN社ですが、入社後2週間で上司から「おまえは営業に向いていない、違う仕事を探したら」と言われる始末。

私の営業人生は最悪のスタートを切ったかに思えました。

しかし、ここから、今の「高確率セールス」につながる営業手法を編み出す事になるとは思ってもみませんでした、、、

次号に続く
posted by やまもと あつひさ at 15:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 人見知りの私が社長になるまで 第1話〜第5話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月20日

人見知りの私が社長になるまで 第三話

前回からの続き
コンピューターのプログラマーとして平穏な日々を送っていた山本。2年ほど勤めた頃、ふつふつと独立への想いが沸いてきた。当時勤めていた社長とのひと悶着も乗り越え営業職に転進。新天地での営業の仕事で見つけた物とは一体なんだったのか、、、

私が入社した大手通信代理店N社(以下N社と略)での仕事内容は、法人へのKDD市外電話アダプター無料設置の申込みを頂く営業です。

当時は、まだマイラインは始まっていません。
NTT以外の電話会社を使うには、○○××4桁の識別番号をダイヤルするかもしくは市外電話アダプターを付ける必要がありました。

N社は典型的な体育会系の営業会社。
上司の命令は絶対服従。日々のノルマがクリア出来なければ、法人営業にもかかわらず夜9時までの、理不尽な飛込営業。

帰社時間は、毎日終電という状態なので、新人が10人入っても、残るのは2人程度でした。

新人が辞めていく最大の原因は、アポ前後の上司への電話報告でした。 私も、これが非常に辛かったのを今でも覚えています。

毎日10件程度のアポを営業マンは回ります。
一件一件、アポ前後に上司のTマネージャーに電話連絡。 「今から○○社入ります。」 「絶対取れよ!!」 契約取れた場合「○○回線GETしました」「山本よくやった。おまえはすごいなー・・」美散麗句のオンパレードで天国。

しかし、契約取れなかった場合は地獄。
「契約取れませんでした」「おまえ、何やってんの。せっかくのアポを無駄にしやがって・・・・」
とこっぴどく怒鳴られる。しかし、それだけで済めばラッキー。

一番営業マンが恐怖に感じていたのはこのパターン。
「断られた理由は何だ?」
「○○だと思います。」「じゃあー、次は○○と言えばいいから、もう一回行って来い」再訪問後   「またダメでした」「もう一回行って来い」と何度も何度も訪問させられる。

最高で、同じ所に10回訪問したこともありました。これが、かなり精神的にキツイ。
断っても断っても、何度もゾンビのように来るので、お客さんの方が、怖くなって契約してくれることも何度かありました。

しかし大抵、「しつこい、もう二度とくるなー!!」と激怒される事の方が多かったです。

これを、N社では「ゾンビ作戦」と呼んでいました。

あと、社長にアポが入っている場合で「社長が忙しくて、話きいてくれませんのでダメでした」「じゃあ、終わるまで待ち伏せしろ」と夜23時位まで、社長が仕事終わって出てくるのを待つこともよくありました。

その場合は、熱心さが伝わって契約とれる事が多かったです。これをN社では、「待ち伏せ作戦」と呼んでいました。

しかし、入社して2週間で、私の営業成績は最悪でした。 当時の私は、営業マンとしては、全く不向きという状態。

人見知りする。営業トークは何を言っているかわからない。飛び込み営業が怖くて、会社の前を2時間位ウロウロして、やっとの思いで飛び込む。

そんな状態なので、営業成績が良くないのも当然。毎日のように、営業が終わってから会社に戻ってロープレ。しかし、ロープレでもオドオドしていたので、上司から容赦のないダメだし。
「やっぱり、自分には営業は無理なのかな」と、辞める事も考えていました。

だけど、一人暮らしなので生活費を稼がないといけない。辞めてしまうと独立起業への第一歩が潰えてしまうので、何とか踏み止まっていました。

しかし、入社して3週間が過ぎようとしていたある日の出来事です。

一件目のアポが契約取れず、いつものようにTマネージャーに電話報告。
「すいません。ダメでした。」
また怒鳴られるかなー、と覚悟していたら
「今すぐ会社に戻って来い」

会社に戻ると、Tマネージャーが開口一番
「おまえは、営業向いていないと思う。お互いの為に辞めた方がいいと思うけどもどうする?」

その時、「このまま営業続けても、辛い毎日が続くし、このまま辞めれば楽になれるだろう」という悪魔のささやきが心の中に聞こえてきました。
 
しかし、口から出た言葉は

「こんなに早く判断しないでください。もうすこしで花が開きそうな予感がします」

と心の中の思いとは裏腹の言葉が自然に口から出てきました。

すると、Tマネージャーは
「営業会社やから、早く判断しないとあかんのや。じゃあ、あと一週間様子をみよう。ただし、アポはもう渡さないので、自己アポか飛び込みで20契約取れるかどうかで判断しよう」

「わかりました」

ということで、一週間の猶予を貰うことになりました。とにかく、この一週間出来る限りのことはしようと思い、まずは今までの営業を振り返ました。

N社の営業スタイルは「詳しい内容は、営業の者が説明します」というアポを、営業マンが説明説得して契約を貰うという、今思うと極めてオーソドックスな営業方法でした。

しかし、契約を貰ったお客様を思い出して見ると、そんなに説得せずして契約を貰っている事が多いことに気づきました。

「そうか、今すぐ契約する客だけにアポを入れれば 営業力のない自分でも高い成約率で行けそうだ」
この考えを基に、アポトークを作り早速実践してみました。

アポトークの中で、「申し込みに必要なゴム印と角印を用意してください」というフレーズを入れ、用意してくれる客だけを訪問するという方法です。
今のプラチナラインアポトークの原型です。

Tマネージャーからも、周りの営業マンからも、最初は非難轟轟でした。

「電話口で、ハンコを用意しろなんて、あまりに非常識すぎる」と。

しかし、結果は、アポ件数も契約数も周りのアポインターより多く、しかも成約率が90% 以上。

一週間の猶予も余裕でクリアー出来ました。

その後、元通りアポインターのアポを回ることになり、自分の担当アポインターにこのやり方を教えました。

その結果、全国で数百人いる営業マンの中で、全国3位の月間営業成績を達成。

まさに、「逆境が大きいほど、大きな利益の種子が隠されている」ということを 実感できた体験でした。

その後、独立起業のため、営業力を付けるという目標は達成できたので、3ヶ月の試用期間終了と同時に退社することにしました。

当時、ITバブルの前兆があり、独自ドメイン取得できるレンタルサーバーのニーズが法人を中心にすごく高まってきていました。

ちょうど、光通信が「ヒットメール」という当時では、格安で高性能のレンタルサーバー のサービスを提供しており、代理店も募集していました。

ビジネスチャンスと捉え代理店申し込み。独立起業の第一歩をスタートしたのです。

全国3位の営業成績で自信を持った私は、意気揚々と独立に向けての、順調な滑り出しを見せたかに思えました。

しかし、独立起業した者が、つい踏んでしまう地雷を見事に踏んでしまい、その後、約1年以上に及ぶ苦しい借金生活が始まるとは、、、

このときは全く、想像すら出来ませんでした。



次号に続く

posted by やまもと あつひさ at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 人見知りの私が社長になるまで 第1話〜第5話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月27日

人見知りの私が社長になるまで 第四話

<これまでのお話>
独立起業の実現に向けてと、入社したのは典型的な 体育会系営業会社。上司の命令は絶対服従という、理不尽な状況の中、全国3位の月間営業成績を達成。その勢いで意気揚々と独立に向けての第一歩を踏み出した山本だったが、まさかこんな事になろうとは、、


光通信と代理店契約を締結し、いよいよ独立起業の第一歩をスタート。
当時(1999年)の状況は、ちょうどITバブルの真只中。インターネット関係の会社が上場すれば初値で100万以上が続出していました。
そういう時代背景を捉えて、「ヒットメール」というインターネットの商材を扱うことにしました。ヒットメールとは、光通信が提供する月額1万円のレンタルサーバーです。
当時レンタルサーバーといえば、月額3万円程していましたから、価格面だけを見ても非常に競争力のあるサービスでした。

「N社で成功した、自己アポ自己営業でやれば、アポには自信があるから、かなり売れるだう……」という思いで、営業をスタートしました。

しかし、当時は全く貯金がありません。事務所を借りる資金がないので、自宅を事務所にしました。
これが、前号の最後で少し説明した、独立起業した者がつい踏んでしまう最初の地雷「自己管理のワナ」なのです。

「自宅を事務所に」
そこに、恐ろしい魔獣が潜んでいるのです。

まずは、自宅でテレアポする為にNTTから、近畿2府4県の電話帳を全て取り寄せました。膨大な量です。自宅のワンルームマンションは、玄関を開けるとすぐ電話帳が山積みで、電話帳の図書館になってしまいました。


準備万端。ついに、自宅でテレアポスタート。
「一日中、テレアポし続けるぞ」と決意。

しかし、一時間半もテレアポすると、しんどくなってきます。
少し気分転換しようと、テレビのスイッチを入れます。

(その時、潜んでいた恐ろしい魔獣が鋭い牙で噛み付きました。)

当時、平日の10:30から「それいけアンパンマン」の再放送していました。
「10分だけ見てから、テレアポをしよう。」

(しかし、一度噛み付いた鋭い牙は、そうそう離してはくれません。)

アンパンマンのアンパンチで、バイキンマンが退散。平和が訪れジャムおじさんとバタ子さんの笑顔、ついつい最後まで見てしまうのです。

「よし、一段落ついたのでテレアポ再開しよう」

(そう思った否や、一度緩んだ牙が、また容赦なく喉笛を締め付けてきます。)

11:00からは、「名探偵少年コナン」の再放送が始まります。これも、怖ろしい事に犯人が捕まる最後まで、ついつい見てしまうのです。

(そうなると、ようやく満腹感を得たのか、鋭い牙も緩みやっと開放されます。)

しかし、時間は11:30に。
「中途半端なので、昼休憩にしよう」と言う事で長い昼休憩をとります。

午後からは、「午前中の遅れを取り戻すために、5時までテレアポし続ける」
と新たに決意し直し、テレアポスタート。

しかし、一時間半もすると、またしんどくなってきます。

(そうなると、腹をすかせた魔獣が、獲物の匂いを嗅ぎつけやってきます)

ふと本棚を見ると、漫画の本が。
ちょっとだけ読もうと、「美味しんぼ」を手に取ってしまいます。
しかし読み始めると、山岡士朗と海原雄山、親子の葛藤が織り成すストーリーについ引き込まれ、1巻から2巻と、そして3巻へと、ついつい読み進めてしまうのです。

「午後からは、5時までテレアポし続ける」という決意も虚しく、気がつけば4時半ぐらいに。
「明日から、がんばろう」とテレアポ終了。

そして、次の日も、また次の日も同じパターンを繰り返す。

少し大げさに表現しましたが、これが「自己管理のワナ」です。

つまり、サラリーマン時代はうまくいっていても、独立してからうまくいかない人の典型パターンはこれです。
特に「自宅でテレアポ」これは、よほどの精神力がないと続かないでしょう。
サラリーマンの「やらないと上司から怒られる」 「やらざるを得ない状況」というのは、違う角度からみると、すごく恵まれている環境です。
「自分で決めたことを、やり遂げる」これは簡単そうで、すごく難しいのです。
「人から言われた事だけをやる」これは、ある意味 楽なのかもしれません。

そうやって「自己管理のワナ」に嵌(ハマ)る日々を、しばらく続けてしまいました。

そして、収入がないので、とうとう生活費も底をつきました。
仕方がなく、プロミスでキャッシング。
人生初で、サラ金に手を出してしまいました。
実は私がまだ小さい頃、親戚がサラ金に手を出して 夜逃げをしています。
幼心に「絶対サラ金には手を出さない」と思っていました。
しかし、自宅近くの 無人機で、手軽に借りれるものでした。
金利は年利26%。恐ろしく高い金利だと、思いました。


「このままでは、借金地獄で親戚の二の舞いに」という、恐怖に襲われました。
ある意味「やらざるを得ない状況」に自分が置かれました。

それでようやく、「自己管理のワナ」から脱出することに成功。
毎日、6時間以上テレアポできるようになりました。
「借金地獄」「夜逃げ」という恐怖が、テレアポし続ける支えになったのです。

それに伴い、週2件のペースで契約が取れ始めました。
一契約8万のインセンティブがあったので、
「これで、借金地獄どころか、月収100万も見えてきたぞ」と恐怖から一転、月収100万という目標が出来ました。

ところが、容赦なく次のワナが降り掛かってきました。
それは「品質のワナ」です。

ある日、契約を頂いたお客様から電話がありました。
「申込みしてから、2ヶ月 経つけど、いつからサービス始まるの?」
調べてみると、確かにサービスは開始していませんでした。
早速、光通信に問い合わせ。
「実は、申込み殺到していて、開通が3ヶ月待ちになっています。」
それを聞いて、背中が凍りつきました。
「こんなに遅いと、解約が続出するだろう」
案の定、解約が続出。しかし冷静に最悪を想定して、
「お客様の半分は残るだろう。それだけでも、よしとしよう」
予想通り、半分以上のお客様は、サービスの開始を待ってくれるという返事を貰いました。

ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、それを打ち砕くような出来事が起こりました。
マスコミからの、「光通信バッシング」です。
光通信は、携帯電話販売で急成長した会社で、当時は最短スピード上場の記録を持っていました。その反面、強引な営業方法で悪い噂の絶えない会社でした。
ある日新聞記事に「携帯電話寝かせ、不正営業発覚」という記事が出ました。
携帯電話寝かせとは、数を売ればインセンティブが上がるという仕組みを悪用して早期解約目的に、携帯電話を社員や取引先に多数契約させ金銭バックするというやり方です。
違法ではありませんが極めてそれに近いやり方です。
ここぞとばかりに、マスコミは光通信をバッシングしました。
叩けばホコリが出るもので、インサイダー疑惑等々いろいろ発覚し、テレビ、雑誌を連日賑わせました。
そうなれば、せっかく残ったお客様も、「光通信みたいな、信用できない会社のサービスだったら、いらんわ」ということで、ほとんど消えてしまいました。

これが、「品質のワナ」です。
これは、特赦なケースではありません。よくあることです。
おもしろそうな商品やサービス。
「よし、いける」で一気に販売。
しかし、後で不良品が続出したり、納品した後に予期せぬ不具合が発覚、またはメーカーが潰れる。特に中小メーカーの商品やサービスは、常に「品質のワナ」を考えて慎重に売らないといけないのです。

「自己管理のワナ」「品質のワナ」この2つの地雷を見事に踏んでしまいました。
残ったのは、山積みの電話帳と借金です。

新規で営業しようにも、光通信がこの状態では、到底無理でした。

こうして、最初の独立起業は、無残に失敗しました。

しかし、いつかこの経験が財産になると信じていました。

とりあえず、生活と借金返済の為、アルバイトをしました。
21歳当時のフリーター生活に逆戻りです。
昼間は、カマボコ工場、夜は、警備。
住吉大社で初詣の警備と、正月も休みなく働きました。借金を返済するためです。

アルバイトで知り合う人たちの話題は、パチンコ、競馬、女性関係の話ばかりでした。 

「朱に交われば、赤くなる」事のないように、あまり仲良くならないようにしていました。
だけど、これからどうすればいいかは、全く見えない日々を送っていました。

そんなある日、また人生の流れを変えるきっかけが訪れました。
ヒットメールのお客様で、仲良くなった社長から電話があり
「訪問販売で日本一の営業マンの知り合いが、独立して会社を作るので、そこで、働いてみないか」という、誘いがあったのです。

とりあえず詳しい話を聞く為、後日ファミリーレストランで 日本一の営業マンことYさんと会いました。
Yさんの見た目は、サラリーマン金太郎役を演じていた俳優の高橋克典にそっくりでした。Yさんは、私と同じ年(当時26歳)、浄水器の訪問販売では、2年間通して正月以外は売れない日がなかったという、訪問販売業界では伝説の人でした。

Yさんは、満面の笑みで「10台売れば、月収100万稼げるよ」
と簡単そうに言いました。
前の仕事で、達成できなかった月収100万と、この人から営業を学びたいという思いがあり、Yさんの会社で創業メンバーとして、働かせて貰う事になりました。

そこでは、営業の厳しさが身に染みる出来事が数多くありました。
なぜなら、Yさんは訪問販売業界で「鬼のY」と言われるほど非常に厳しい人だったからです。

                 <次号に続く>

どんなに、厳しかったのか…….
なぜ、営業の厳しさが身に染みたのか…………
それは………
一般家庭への訪問販売ならではの、
あまりにも生々しい出来事が数多く存在。
どんな本にも書かれていない、本当の真実が………


posted by やまもと あつひさ at 21:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 人見知りの私が社長になるまで 第1話〜第5話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月08日

人見知りの私が社長になるまで 第五話

<これまでのお話>

独立起業した山本は「自己管理のワナ」と「品質のワナ」にはまってしまい、山積みの電話帳と借金で苦しむコトに。「いつかこの経験が財産になる」と信じていた山本が次に出会ったのは、訪問販売業界で伝説の人、Y氏。通称、「鬼」であった、、、


また一から営業を学ぼうという思いで、Yさんの立ち上げる浄水器販売会社に入社することになりました。当時は、浄水器がブームになっており、浄水器販売で上場を果たした会社もありました。しかし、同時に浄水器販売は、成長期が終わりに近づき、陰りが見えている頃でもありました。

会社設立は2ヵ月後ということもあり、それまではYさんの指令で、他社の浄水器販売会社にスパイとして潜入することに。受けた指令は2つあり、最新のトークを盗む事とトップセールスマンを引き抜く事です。自分自身は「スパイなんか、いやだなー」と思い、断りの言葉を口に出そうとした時、Yさんが一瞬にして「鬼」の様な表情になり、結局は断れず。これが、初めて「鬼のY」を垣間見た瞬間でした。この後、何度も「鬼のY」を見る事になろうとは・・・・。

とりあえず、Yさんが昔に営業指導をした事のある、新大阪の某浄水器販売会社に潜入することになりました。早速、応募をして、面接に。
面接中も、スパイと言う事がばれないかドキドキしながら、面接官の質問に答えていましたが、「訪問販売業界は、面接に来れば合格、とりあえず誰でも入れる」とYさんが言っていた通り、問題なく面接は合格。
入社一週間は、社内でトークを徹底的に覚える事でした。

そのトークが、恐ろしいほど長く、A4で15ページ程ありました。
アプローチから始まって、商品説明、クロージング、そして、一般家庭訪販特有の 「主人返し」というものがありました。主人返しとは、奥さんが最後によく言う言葉、「主人に相談しないと・・・・」を切り返す必殺トークです。それが、ここの会社ならではのノウハウでした。        
訪問販売は、主人に相談されると大体は決まらないので、奥さんだけで、決めてもらうようにするトークです。

それはどんなかと言うと、「奥さんが、指輪とか服を買うのでしたら、相談しないといけないと思いますが、浄水器は家族全体の健康の為に買うものですから、家族の健康は奥さんが管理するものです。
だから、奥さんが決めても大丈夫です。ご主人さんも、パチンコやタバコとか飲みに行くとかで、無駄使いしていませんか?そんな無駄使いしているのでしたら、たった月3000円、一日100円で済みますから、家族の健康の為に使いましょう」というトークです。実際、後で使いましたが、非常に効果のあるトークでした。
とにかく、全15ページのトークを、事務所内でウロウロしながらブツブツ言いながら覚えました。

そして、入社4日目ですが、初めて社長が出社してきました。
年齢は50歳ぐらいで、すごく貫禄とカリスマ性を感じる人でした。
朝礼での第一声も、「うお〜っす」と地響きがするぐらいのドスの効いた大きな声でした。
そして、朝礼後なぜか社長から呼び出されました。
「もしかして、スパイがばれたかも」と思いましたが、
「いや、ばれる様なことはしていない。大丈夫」
と思い直し社長室へ。
何を聞かれるのかドキドキしていましたが、まずは前職何をしていたのか等の2〜3分の雑談でした。
しかし、次の瞬間、最悪の予想が的中した言葉が、社長の口から飛び出してきました。「うちは、業界でも有名なので、同業者がよく潜りこんで来る」と言いながら、全てを見透かすような目でジーと見つめてきました。
自分も目をそらしてはいけないとい思い、ジーと見続けました。社長は続けて「営業トークは、持って行きたければ持っていけばいいと思っている。どうせ、どこかで流出するから。
紙のトークだけで本質がわかるはずがない」と最後に言われ、社長との面談は終了。
「ばれたのか」いや「全員にいつも言っていることなのか」といろいろ考えが巡り、自分の頭は混乱しました。しかし、その後に事務員から告げられた言葉で、答えがでました。それは、「来週から、3ヶ月間、九州営業所に行ってください」と唐突に言われた事です。
やっぱり疑われていると確信しました。
さすがに、スパイ活動で九州までは行けないので「面接で、九州に行く事は聞いていない」を理由に退社することにしました。
結局、二つの指令である「最新のトークを盗む」は成功しましたが、「トップセールスマンを引き抜く」という指令は、失敗。

あきらかに、Yさんは不服そうで、容赦なく次の指令が。「次は、この会社に潜り込んで来い」と。しかし、スパイで潜り込んでも、給料が貰えるかどうかわからなく、借金が返せなくなるので、「もうスパイだけは勘弁して下さい」と必死に断りました。何とか断ることには成功しましたが、そのかわり、一ヵ月後の入社までの宿題として、トークを完璧に覚えるという指令が与えられました。トークは、A4で15枚ほどありました。しかし、迫りくる借金返済で休みなくアルバイトをした為、覚える暇がありません。そこで、自分の声で録音したトークを、警備のアルバイト中に四六時中聞き続けました。それで、何とか入社までに完璧に覚える事に成功。

そして、ついに入社初日がやってきました。同期の新入社員が15名。みんな、職安や求人誌から来た人です。パッと見て、営業が出来そうな人はいません。しかも、Yさんの指令で、入社前にトークを覚えていましたから、みんなより一歩リード。「この中では、自分がトップになるのは間違いない」と秘かに思っていました。

入社一週間は、トークを覚える期間です。1ページを覚えたら、Yさんの前で紙を見ずに、トーク通り言えるかのテストを繰り返しました。自分以外は、1ページを覚えるのに3時間以上かかっていましたが、自分だけは、わざと覚えるふりをして、1時間くらいでテストし次々と合格していきました。Yさんの作戦で、自分だけ事前にトークを覚えていた、と言う事は内緒にする事になっていました。
Yさんの狙いは成功で「山本に負けていられない」と、みんなもすごいスピードで覚えていきました。

そして、1週間が経過しようやく営業開始。まずは、事務所近くの団地から回る事になりました。 団地は5階建てでエレベーターがありません。しかし、Yさんのモットーは「常に走る」です。5階まで一気に走って階段を上りました。疲れて歩いているのをYさんに見みつかると、「走れ〜」と怒鳴られました。
みんな、初オーダーは自分が取るという意気込みで一軒一軒「浄化水のご案内で〜」と叩き続けました。営業開始から3時間後ついに初オーダーが。

それは、残念ながら自分ではありませんでした。
初日は、結局1台だけでしたが、次の日も、また次の日も自分以外から、オーダーが出続けました。
そして、とうとう売れていないのは、自分を含め2人だけになってしまいました。もう一人は、高校中退の17歳の女の子です。Yさんの自分を見る目が、日に日に怖くなってきました。そして、最悪な事に17歳の女の子もついに初オーダーを。
ついに、売れていないのは自分だけに。Yさんの自分への期待が、失望に変わったのを、手に取る様にわかりました。自分が売れない理由は、はっきりしていました。それは、人見知りで仲良くなれないからです。法人営業とは違い、奥さんといかに仲良くなれるかが、訪問販売では重要なのです。それが、うまく出来る人程売れていました。
ただ、へたな鉄砲も数打てばあたるもので、ある日ようやく1台売れました。しかし、他の営業マンは、既に3台、4台と売っていました。そして、1ヶ月経過後、販売台数4台と営業成績はビリに終わりました。高校中退の女の子や、  元ヤンキーで学校には、ほとんど行っていなくて、漢字もろくに読めない男の子にも負けてしまいました。
「N社で、全国3位」という営業に対する自信が、脆くも崩れ去る事に。
そして、同時に営業の厳しさが身に染みてわかりました。

あと、一般家庭への訪問販売ならではの、生々しい出来事を数多く体験しましたが、一番印象に残っている出来事を紹介します。

「暴力事件」

少し高級そうなマンションに訪問。何件目かで、ドアが開き中へ。そこには、大人しそうな奥様がいました。たまたま、浄水器の購入を考えていたらしく、最初から、興味を持って聞いていました。ただ、最後に「主人に相談しないと・・・・・・」と言われました。このまま相談されても、決まりません。そこで、必殺の「主人返し」を使いました。
「それも、そやなー。じゃあ、買うわ」と恐ろしいほどに見事に決まりました。その場で、浄水器を設置し次のマンションへ。
しかし、しばらくしてから、会社から電話があり、「さっきの所に電話するように」と。早速電話すると、奥さんが、すすり泣きながら「やっぱり、浄水器返すからすぐ来て」と言われ、再度訪問しました。
ガチャっとドアが開いて、奥さんの顔を見た瞬間びっくりしました。
なんと、奥さんはご主人から殴られたらしく、鼻血と涙でぐちゃぐちゃな顔をしていました。
ご主人は、真っ赤な顔で「今すぐ持って帰れ〜」と怒鳴り散らしていましたが、奥さんは、しきりに「ごめんね、ごめんね」と謝っていました。自分が「主人返し」をしなければ、奥さんが殴られる事がなかったと、心が痛みました。


話を本題に戻します。

入社して、2ヶ月目「鬼のY」の本領発揮は、ここからです。
どうしても、全員がなかなか売れない日がありました。しかし、Yさんはそれが許せないようでした。誰かが売れるまでは、帰れません。
夜中の2時まで、「遅くなって、すませ〜ん」と訪問しました。
訪問販売法違反です。
当然、寝ている人が多く、「何を考えているんや〜」とこっぴどく怒られました。
そして、翌日には、2〜3人の営業マンは出社してこなくなりました。
あと、営業者の運転はいつもYさんがしていました。Yさんの隣、助手席はお説教席でした。営業終了後、Yさんの指名で助手席に座る営業マンは、お説教コースです。事務所に着くまで、怒鳴られ続けます。
そして、翌日その席に座っていた営業マンは出社してこなくなる事が何度もありました。
そうして、どんどん営業マンが減っていきました。自分も、つらくて辞めようと何度も思いましたが、営業を学ぶためと自分に言い聞かせて、ギリギリで耐えていました。
しかし、ある日の事です。風邪を引いてしまい39度の熱が出ました。
会社を休む為、電話をすると、Yさんが電話に出ました。「すいません。熱があるので休ませてください」というと「本当に熱があるのか?熱があるなら会社まで見せに来い」とガッチャンと電話をきられました。これで、とうとう我慢の糸もプッツリと切れてしまい、退社する事に。
Yさんは、どんなに熱があっても休む事なく、2年間売り続けた記録を持っている人です。自分に厳しく、人にも厳しい人でした。だからこそ、「鬼のY」と言われたのでしょう。
結局、15名いた営業マンも、2名しか残らなかったようです。
ただし、残った2名は毎月20台浄水器を売るスーパー営業マンになったようです。

そんな訳で、3度目のフリーター生活に逆戻りです。今度は、佐川急便の荷物仕分けのアルバイトをして、日銭を稼ぎました。
しかし、年利26%の金利がついた借金は、毎月10万返済しても、金利だけで7万。元金が減るのは、たったの3万です。いっこうに元金が減りません。

プロミスから、送られてくる返済予定表を見ては「一気に稼いで、一気に返済しなくては」と思っていました。
そんなある日、求人誌を見ていたら「月収100万可能、固定給50万から」とウソのような、募集広告が目に入りました。
「どうせ、何かカラクリがあるだろう」という思いがありましたが、少しだけ期待しながら面接に行きました。

仕事内容は、NTTコミュニケーションズのアダプター営業。しかし、固定給50万ではなく、よくよく聞くとフルコミッション。案の定、カラクリが。面接は社長がしていましたが、「普通に営業したら、50万は稼げるので、
ある意味、固定給みたいなものです」と苦しい言い訳。
社長は続けて「グラフを見てください。1000回線以上取っている営業マンもいますよ〜(電卓を叩きながら)月収250万ですよ〜」と興奮しながら言っていました。
確かに、グラフを見てみると営業マンが軒並み400回線以上取っていました。
ただ、このグラフが本当なのか確証はありません。
社長は最後に「やる気があれば採用するけど、どうする?」と。どっから見ても怪しさ120%で、一瞬迷いましたが、騙されてもいいやー、という思いで「頑張りますので、働かせて下さい。」と答えることに。

この選択は、大正解でした。

なぜなら、ここでコミュニケーションライン創業メンバーと出会ったからです。
どういう流れで、
コミュニケーションライン創業に至ったのか・・・・
どんな、仲間と出会ったのか・・・・・・


次号に続く
<追伸>
当初は5話目が最終回の
予定でしたが、いざ書いて
みると、まだまだ収まりません。恐らく、後2〜3回は続きます。




posted by やまもと あつひさ at 22:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 人見知りの私が社長になるまで 第1話〜第5話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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